書海放浪記
ハイデルベルグへの旅、1967年
父とドイツとニコンF
平田憲彦
第3回:デュッセルドルフの公園
これはデュッセルドルフの公園で撮影されたものだ。どこの公園なのかは記録がないのでサッパリ分からないが、もしかするとデュッセルドルフに住んでいる人や行ったことのある人なら44年前のこの光景を見ても分かるのかもしれない。
この公園を父はかなり気に入ったとみえて、何カットもシャッターを切っている。この写真はモノクロだが、カラーでも撮影されている。1967年当時は、フィルムもそこそこ高価なものだったと思うので、それを押してでも何カットも撮りたくなった父の気持ちは、カット数に表れていると感じる。第2回で紹介したモンブランも、父は何カットも撮っている。
この公園でのカットは、このように若い母親と幼児のカットが多い。母に言わせると、この当時は結婚してまだ3年、私が2歳、そういう環境だった。妻と生まれて間もない息子を日本に置いてヨーロッパに来た父にとって、このような光景は望郷の念を呼び起こしていたのかもしれない。
この写真のような光景が美しいのは、普遍的なことなのだろう。平和というのは、こういう光景を日常的に見ることが出来る日々を言うのかもしれない。
ウィキペディアから引用してみる。
〜デュッセルドルフは、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都。ルール工業地帯のすぐ南西部にあり、日本企業の進出も盛ん。郊外のネアンデルタールでは、ネアンデルタール人の骨が発掘された。人口は約58万1千人(2006年)。ライン川に育まれ、近くにルール工業地帯がある都市で、州都として第3次産業を主体としている。様々な企業の本社がおかれ、日本企業も多くこの都市に進出しているため、日本総領事館などのあるインマーマン通りは日本人街の様相を呈している。約10万人の外国人が居住しており、その16パーセントあまりはトルコ人である。また、日本人も外国人人口の5%あまりを占める。近隣の都市としては、約55キロ北西のドルトムント、ライン川沿い約25キロ北に位置するデュイスブルク、約35キロ南のケルン、60キロ南のボンなどが挙げられる。1971年にはデュッセルドルフ日本人学校も開校。1990年前後には生徒数1000名近くにまで達した。〜
ウェブで少し検索してみたが、デュッセルドルフには公園が多くあるらしい。若い母親と赤ん坊にとって、公園は心が安まる場所の一つなのだ。時代も、国も越えて。
母も私を連れて公園を散歩したのだろうか。
撮影:平田勝彦(1967年)
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