書海放浪記
ハイデルベルグへの旅、1967年
父とドイツとニコンF
平田憲彦
第1回:リューデスハイム・アム・ライン
1967年。私が2歳の時に父は研修でヨーロッパに出張した。目的は、ドイツのハイデルベルグ社に訪問することである。今でもハイデルベルグは印刷機メーカーとしては世界で最も有名な企業の一つで、私の認識ではナンバーワンである。
そのハイデルベルグへ行くことを目的に、ヨーロッパに向かった。母の話では、私は母と共に羽田空港まで見送りに行ったそうだ。わざわざ神戸から。1967年の欧州渡航というのは、ヘタすると水杯を飲んでから行く、というくらいの認識だったのかもしれない。
しかし母によると案外気楽な気分で行ったとのことだ。しかし、この海外渡航が父の最初で最後の海外旅行となっているので、それほど外国への旅に心を奪われたということではなかったのだろう。私も、父からこのときの旅の話をあれこれ聞いた記憶はあるが、情熱的に話していたという感じではなく、
むしろあっさり話していたように思う。
父はカメラや8ミリ映像フィルムなどに凝っていたようで、家には映写機もあった。欧州旅行でもいろいろと撮ってきていたと聞いていたので、父が遺した映像を見てみたいと母に頼んで納戸に眠っていた映像を引っ張り出してもらった。ところが、案外少ないのだ。
8ミリフィルムを現像することは少し時間がかかりそうなので、まずはスチールの35ミリフィルムから現像してみることにした。
現像といっても、今はスキャニングである。私は父が撮影したネガフィルムをスキャナーにセットし、高解像で取り込んでからゴミやホコリを修正し、コントラストやシャープネスを整え、おそらくこれが本来の画像だろう、と想像できるくらいまでに製版補正した。
つまり、ここに掲載できた写真は、父と私との合作のようなものだ、と自分で納得している。父がどう言うかはわからないが。
写真に関してはまったくの素人だった父だが、今ではブログが盛んなので、この誌面で父の写真を紹介しつつ、1967年という時間をアマチュア目線の映像としてご覧いただくこともまた一興かもしれない、そう思ったので、私自身が父の目線を追体験する意味でも、ゆるゆると掲載していきたいと思う。
今回の写真は、リューデスハイム・アム・ラインにある湖畔で撮られたものだ。リューデスハイム・アム・ラインというのも、写真に写っているモニュメントにそのような刻印があるから分かったようなもので、遺されたフィルムのほとんどには撮影記録の記載がないので、事情はサッパリ分からない。
ただ、父が湖畔の美しい女性たちに惹かれたのは間違いない。1967年は、父にとっては32歳。美しい女性に釘付けになってもなんら不思議ではない。父が撮りたかった女性は、間違いなくフレームど真ん中の二人だろう。左から二人目と三人目。気になるモチーフをあえて右や左にレイアウトした思わせぶりな構図など、そんな腕を持ち合わせていたとはとても思えないので、つまり父はかなり自分に素直な男というか、単純というか、そういう思い出があるので、この写真のポイントはズバリ真ん中の女性二人であると私は断言したい。
間違ってたら申し訳ない、親父さん。
ちなみに、リューデスハイム・アム・ラインをウィキペディアで調べたらこう書いてあった。
〜リューデスハイム・アム・ライン(Rudesheim am Rhein)はユネスコの世界遺産であるライン渓谷中流上部にあるワイン醸造の町である。ドイツ・ヘッセン州ダルムシュタット行政管区ラインガウ=タウヌス郡にある。公式の名称はリューデスハイム・アム・ライン(Rudesheim am Rhein)であり、それによってリューデスハイム・アン・デル・ナヘ(Rudesheim an der Nahe)と区別される。〜
リューデスハイム・アム・ラインの赤ワインを飲んでみたくなった。
撮影:平田勝彦(1967年)
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