書海放浪記
風と砂利道
26歳、世界放浪紀行
平田憲彦
※
1992年5月30日(日)/ニューオリンズ
ディケイター・ストリートを歩いていたら、路上でブラスバンドがバスキングをやっているのに遭遇した。これが良い。ダーティ・ダズンのようなブラスバンドだが、皆若くてやる気にあふれている。ニューオリンズ・ブラスバンド特有のビートにモダンなソロが次々と繰り出されるさまはスリリングで、ジャズの新たな動きが確実に感じられた。バスドラムの跳ねるようなビートも全体のサウンドを生かし切っており、気がついたら周囲は人だかりになっていた。こいつらはバーボンストリートでやっているような、トラディショナルをそのままコピーしたような古いスタイルのブラスバンドとはちょっと違う。
ドラムには『TREME BRASS BAND』と書かれていた。
その後、チャーターズ・ストリートの古本屋にぶらっと入ったら、なんとアベドンの『OBSERVATIONS』があった。それも150ドル! という破格な値段が付いている。以前渋谷のアールヴィヴァンで見たときはガラスケースに入って10万の値がついていた。ニューヨークでは400ドルだった。それが150ドル、どうしてこんな値段になってるんだろう。わからない。
ガラスケースの中で輝き、手に取ることさえ出来なかった『OBSERVATIONS』がいま目の前にある。興奮と動揺が一気に押し寄せる。
店主に頼んで見せてもらった。そして、これほどの内容だとは思ってもみなかった。静にして動、大胆にして繊細、アベドン、カポーティ、ブロドヴィッチという奇跡のトリオによって生み出されたこの本は、非の打ち所がない完成品であり、古今東西の中の最高の書物に入ることは間違いないように思われた。
アベドンの写真とカポーティの文章を生かすことを目的として成されたアートディレクションとデザインの確かさに嫉妬さえ覚える。いつかこんな本を作ってみたい。
『高いよ』と店主。
わざと困った顔をして、でも欲しいな、とつぶやく。内心は、こんな安値でいいの?おじさん、とつぶやいている。
結局、店主は税金をサービスしてくれた。ルイジアナ州の税金は9%なので、確かに有り難い。150ドルをクレジットカードで支払い、抱え込むようにして店を出た。
この本の存在を知ったのは大学生になった18歳の時。長い片思いが成就した様な感動を覚えつつ、ついに『OBSERVATIONS』を手に入れた。
その後、ストーリーヴィルへ行った。というよりも、かつてストーリーヴィルと呼ばれていた区域に行った、という方が正しいのだが、今や完全に黒人居住区になっている。それも、政府がそれ用に作ったレンガ色のアパートがその区域を埋め尽くしていて、一種の隔離された空間という様相を呈している。
そして、Grass House を探して西の方、アップタウンを歩き回った。ここはまさに南部の住宅地で、しかも住んでいるのは全員黒人だ。ニューヨークのハーレムと、クラークスデイルの黒人地帯を足した様なものだ。広い。ほんとうに広いこの寂れた空間、しかし空が広く健康的にすら感じるこの一帯は、歩くには少し広すぎて、しかも勇気がいる。それでも、ここには今の黒人たちの日常がある。白人どころか観光客らしき人間など一人も歩いていない。夜はちょっと怖くて一人じゃ歩けないな。
それにしても、バーボンストリート。いかにもしょうがなく義務的に音楽をやってます、というような垂れ流しの感さえあるバーボンストリート。音楽がまるで土産物のように、ぞんざいに扱われているように感じてしまう。
この通りからは新しい音楽は生まれないだろう。音楽が必要とされていない場所に音楽が流れ、誰かが必ず聴いているのがわかっていて演奏する人間がいて、ここに来れば取り合えず音楽があると知っている人間が来る。バーボンストリートとはそういう所だ。
ここにあるのは音楽ではなく、カネ、である。しかし、ニューオリンズという都市がニューオリンズであり続けるためには、バーボンストリートは必要なのだ。バーボンストリート全体がニューオリンズの広告なのである。
何故だか感じるこの虚しさとは関係ないことだ。
必然性のないものには生命がない。生命がないものには何の魅力もない。音楽に限らず、全てに当てはまる。旅をしていて思ったことの一つである。
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