書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
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モーテル・クロニクルズ
サム・シェパード
畑中佳樹訳
筑摩書房(1986年)
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『遠くのものが、これほど近くから呼びかけてきたことはない』
(本文巻頭の引用文より)
『ミシシッピの豆畑の中にある堀立て小屋の前に座る男ををイメージし、彼の心と自分の心とがどう違うか考えてみる。』
(ライ・クーダー 『LOST and FOUND』Vol.1 リットーミュジック刊 より)
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ヴィム・ベンダースが『パリ・テキサス』の音楽にライ・クーダーを起用したのは圧倒的に正しい。映像よりも音楽の方が記憶に残っている人がいるくらいである。言うまでもなく、映像もすばらしい。このヴィム・ベンダースの傑作フィルムは、繰り返し響きわたるライ・クーダーのアコースティック・スライドギターサウンドと、乾いたアメリカの風景、そしてさまよう魂が描かれた名作として今も我々を感動させ続けているが、ベンダースが『パリ・テキサス』の着想を得たのが、この『モーテル・クロニクルズ』である。
詩と散文で編まれたこの書物には、たしかにライ・クーダーのスライドギター・サウンドが鳴っているかのような、豊穣な乾きに満ちている。
現在と過去と空想が幾重にも折り重なり、交差点に立ちすくんでいる魂が、徹底した主観で貫かれて過剰なつぶやきとなった書物、それはまた個人的な停滞の記録でもある。
しかしこの停滞は、贅沢で必要な停滞なのである。立ち止まっているが、しかしこのままぼんやりしているわけにもいかない。今まさに動き出そうとする一瞬の空白が記録された実に個人的な記録。
この停滞を共有できるという点において、この書物はたぐいまれな読書体験をもたらせてくれる。時間が錯綜した詩や散文の間を縫いながらも、
80/1/13
ホームステッド・バレー、カリフォルニア
といった簡素な末尾に、停滞が不意にリアルになる瞬間があり、自分がモーテルを転々と移動する乾いた旅をしているかのような錯覚に陥らせてくれる。
また、ところどころに挟まれたジョニー・ダークの写真も、すこぶる悪劣な印刷と相まって、言い様のないわびしさが出過ぎているくらいによく出ている。
そして、あらためて言わねばならないくらいに自然で上質な日本語訳。この訳こそ、この書物が日本において優れた作品になるかならないかの命運を握っているといっても良いくらい、重要きわまりないポジションにある。
それほど、言葉は大切なのである。特に海外作品の場合。むろん、原文で味わえるに越したことはないが、別の意味で日本語としての美しさを体験できることは、これまたうれしいことだ。
ともかく、畑中佳樹の訳はすばらしい。
モーテル・クロニクルズ。
この書物を読む度に、強烈にアメリカに行きたくなるのである。
憧憬とはほど遠い、吸い込まれてしまいそうな乾きがある。
※余録※
こんなケースもまれにあるが、まず造本が気に入って購入した。菊池信義の場合は装幀と言うよりはやはり造本で、紙質や組版、見返しや花切れまで詳細に造本設計をすることで知られる。
もちろんブックカバーのみデザインという仕事もあるようだが、全体を造本したときの美しい仕事ぶりはほれぼれする。菊池の方法論、それもきわめてよく知れ渡っているが、ゲラに対して読み込みを重ね、5色の色鉛筆でマークを入れていきながらイメージをふくらませていく、というものである。タイポグラフィにしても、写植を知り尽くしている菊池らしく、レンズを交換したりコピー機を使って加工したりと変幻自在である。いまはやはりマッキントッシュを使っているのだろうか。
それでも、最近の仕事を見ていても写植を駆使している様子もうかがわれるので、イメージのためには手段を選ばず、という姿勢なのだろう。あと、既存の美術作品に関して大胆なトリミングを行ってみたり、タブーや先入観をものともしないどん欲な造本への執着は称賛に値する。書物が書店にておかれる際の見え方、棚に入った際の背表紙の見え方、手に取ったときのチリや光の角度、どれをとっても隅々まで書物とテキストを造本を通して具現化させようとする意志。菊池信義によって対象化された書物は、全く幸福と言うほか無いだろう。
そういう意味でも、良い造本の書物は見初められる機会も多いので、サム・シェパードをよく知らなかった私のようなものの元へとこの書物はやってきたのである。ジェシカ・ラングといえば、私にとってはキングコングと郵便配達というくらい乏しい知識で、ジェシカ・ラングと夫婦をやっているらしいがあまりその手の話題には明るい方ではないのでよくわからないが、訳者のあとがきによると、どうやらそうらしい。それよりも、『パリ・テキサス』の方がより響いてくる話題であった。
『パリ・テキサス』がブルースであるのと同様に、この書物もブルースである。ブルースを題材にした物語がことごとくくだらないものになってしまうことは、今にはじまったことではないが、この『モーテル・クロニクルズ』のように、ブルースをモチーフにしていない書物の方がブルースを感じさせることになるというのは、皮肉というか、むしろ、的を得ているといえるだろう。おそらくジャズもロックも、同様だと思う。『モーテル・クロニクルズ』で表出されている感情や作者の視点、そして温度こそ、ブルースを感じさせるキモなのである。
※敬称略
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