書海放浪記
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平田憲彦
先生の作品集
考えるデザイン
中島祥文・24のデザイン発想
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私は1988年に大学を卒業した。もう20年以上前のことになってしまったが、東京都の八王子市に今でもある。私の在学中よりかなり敷地が大きくなり、おそらく設備も豊かになっていることだろう。
1986年の3月、大学3年になると専攻が細分化し、授業を選べるようになっていた。私は、広告の授業を選んだ。なぜその授業を選んだのか。それはきっと同級生の影響が大きかったのだと思うし、大学2年の頃、夏休みの授業で受けた広告の講義が面白かったからということもあるかもしれない。
その頃の広告は、コピーライターブームが盛んで、イメージ広告がテレビや新聞、雑誌に溢れていた。ちょうど糸井重里さんが西武百貨店、仲畑貴志さんがソニーやサントリーの広告で活躍していたころだ。当然、コピーばかりにスポットが当たっているわけではなく、グラフィックデザインも面白いものが多くあった。サイトウマコトさんが仏壇のポスターで骨をビジュアルにした“事件”も、そのころの広告である。
そんな流れで私はグラフィックデザイン専攻という中から広告制作実技の授業を選ぼうと思った。その授業を選んだ決め手は、講師にあった。もう亡くなった増田正さんという大先輩デザイナーが学部のトップを務めていて、増田さんは、先輩が後輩にデザインを教える、という手法を採ったのだ。
増田さんが招聘した講師は、グラフィックデザイナーであり、アートディレクターの中島祥文さんだった。
中島さんは、増田さんに口説き落とされて、なかば『卒業生としての責任』も感じて引き受けることにしたと、私たち学生にその初めての授業の冒頭で話したのだった。
その頃の中島さんは、ちょうどウールマークのキャンペーンをやっている最中で、伊勢丹の新聞広告も作っていた。時代は、大貫卓也さんが『プール冷えてます』のポスターを作っていた時である。大貫卓也さんも、我々の先輩だった。
中島さんの授業を、私たち広告指向のデザイン学生は注目していた。現役バリバリのアートディレクターがいったいどんな授業をしてくれるのだろうかと、はち切れんばかりの期待をもって授業に臨んだのである。中島さんにとっても、初めての授業であり、立場は講師であったと思う。自慢ではないが、つまり私たちは、中島さんの第一期生ということになる。
大学3年から4年にかけての2年間、私たちはおそらく、生まれて初めて本物のデザイン教育を受けたと思う。広告というフィルターを通じて、メッセージを伝えるということ、デザインとコピーをどう扱うかということ、写真とは、イラストとは、そういう広告の真実と目的、そしてそのおもしろさ、社会的責任といった様々なことを学んだ。
私が今も広告制作をして、アートディレクターという職業を続けている原動力は、間違いなく中島さんに学んだ2年間にある。
どのような授業を受けたかということをこのコラムで書くには、あまりにも長くなりすぎるので別の機会に譲りたいが、中島さんに学んだことは、今私がやっている広告制作の核に生きている。これは生涯忘れることのない宝である。
そんな中島祥文さんの作品集が出た。広告制作者、アートディレクターの作品集は、それほど多くない。田中一光さんや亀倉雄作さんなどの作家的テイストのグラフィックデザイナーは、少なからず作品集が出ているが、純然たる広告ばかりで構成された作品集は少ない。
中島さんの作品集は、私が彼から見せてもらった初期のウールマークの新聞広告や、伊勢丹の広告が多く掲載されている。ページをめくると、彼が話してくれたデザインの魂が、今でもちゃんと輝いていることがわかる。
何年も前、中島さんとトンプソン時代に同僚だった中塚大輔さんの作品集が出たが、そこにも多くのウールマーク作品が掲載されていた。今回の中島さんの本は、いわば中塚さんの本と対になってもおかしくないようなおもしろさもある。
ほんとうに、素晴らしい先生に学んだ私は、幸運であった。
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