書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
トム・ウェイツの歌詞集
偶然に、トム・ウェイツの歌詞集が出ていることを知った。早速購入して、いま手元にある。
『The Lyrics of Tom Waits The Early Years』と名付けられた書物は、ファーストアルバムの『Closing Time』から『Heartattack and Vine』までのオリジナルアルバムと、のちにリリースされた『The Early Years』の1と2,そして映画『One From The Heart』のサウンドトラックを網羅している。名作『Rain Dogs』や最近の傑作『Mule Variations』などは含まれていない。
書物『素面の酔いどれ天使』によると、この頃のトム・ウェイツの作品は少し複雑な権利関係があるようで、作者であるウェイツ自身のコントロールが完全に及ばないようだ。
そんな事情も影響しているのかもしれないが、この歌詞集『The Lyrics of Tom Waits The Early Years』は、初期の頃の作品のみが収録されている。
ちなみに、英語版である。ハードカバーのしっかりした造本で、とても好感が持てる。B5判という、少し大きめのサイズ。
米国のネット書店アマゾンに、この書物もラインナップされているが、とても興味深いコメントを発見した。
アマゾンのウェブページは、読者、あるいは読者予備軍による自由気まま、勝手無邪気なコメントが寄せられている。日本のアマゾンでもそうだ。
このコメントは、実を言うと読むに値するものが少なくない。プロの文筆屋よりもよほど正確に書物の本質を言い当てている場合もあって、なかなか読ませるものもある。
『The Lyrics of Tom Waits The Early Years』の読者(あるいは未読者)コメントで、注目すべきものがあった。
“Song Lyrics Not So Interesting in Print(印刷された歌詞に興味はない)”と題されたそのコメントには、このように書かれている。
I think song lyrics in general
suffer from being read
without hearing the presentation
Waits is no exception to this rule
Buy it if you love his music
Skip it if you haven't heard it
演奏を聴かずして読む歌詞は、たいがい苦痛だ。
トム・ウェイツであっても、その例外じゃない。
彼の音楽を愛してるなら、買ってもいいだろう。
まだ聞いたことがないのなら、買うべきじゃない。
簡単に訳するとこうなる。
私は、まったくその通りだと思う。
このコメントを書いた人は、真に音楽と歌を愛している人だと思う。
このトム・ウェイツの歌詞集は、私にとってはかなり嬉しい贈り物だ。
私はトム・ウェイツの大ファンで、この歌詞集に納められているアルバムでは、『One From The Heart』以外は全て持っているし、ウェイツの曲も毎日のように聴いている。
歌詞集を眺めながら歌を聴くと、日本人の私にはより一層歌の世界を感じ取ることが出来る。
なにせヒアリングが未熟なので、聴いているだけでは歌の意味がわからないところが少なくないからだ。
しかし、それも私が彼の歌をすでに聴いているから、この歌詞集の存在も生きてくるのである。まさしく、米国アマゾンのコメントが指摘するように、歌を聴かずして歌詞だけ読むのは、なんとも妙な行為であり、音楽と乖離したものである。
私は、数年前にロバート・ジョンソンの日本語訳歌詞集を出版した。それも、まったく同じ観点からだ。
まず歌を聴く。そして、歌に興味を持って、さらにより一層歌の世界を堪能したいときに、英語を母国語としない日本人がロバート・ジョンソンの歌の本質に近づくための手だてとして、日本語訳の歌詞集を出版したのである。
ロバートの歌を聴かずして日本語歌詞集を読むということは、まったく本末転倒なのだ。
だから、歌を聴くだけでその世界がわかる日本人には、ロバート・ジョンソンの日本語訳歌詞集は必要ないはずだ。
まさに米国アマゾンでコメントに書かれている
Buy it if you love his music
Skip it if you haven't heard it
という主旨が、そのまま当てはまる。
歌詞集で有名なのは、おそらくボブ・ディランが筆頭にあげられるだろう。しかし、ディランであったとしても同様だと思う。
トム・ウェイツの歌詞集は、あらためて歌詞集の存在意義に気付かせてくれた。
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