書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
ヤン・チヒョルトの偉業と、『アイデア』の偉業
読めば読むほど、ページをめくればめくるほど、今回の『アイデア』最新号、つまり2007年3月号(321号)はものすごい内容であることが実感できる。
私は、ずいぶん前にヤン・チヒョルトの作品集を買って、今でもよく開いている。本人が歴史に残る偉大なデザイナーということのみならず、個人的にも彼のデザインは大好きで、本当によくマネをした。
『アイデア』を出版している誠文堂新光社は、学生の頃からあこがれの出版社だった。入社したい、という意味のあこがれではなく、この版元が出す本はどれもこれも輝いていて、どれを買うか迷い、お金が続かないと困り、あげくに大学の図書館で好きな頁をコピーしてスクラップブックに貼ったり、そんな頼りになる版元だった。音楽で言うと、『BlueNote』レーベル、みたいなものだった。
ヘルムート・シュミットが編集した『タイポグラフィ』は今でも私の座右の書で、この20年間で何度も開いては参考にし、小口は手垢で真っ黒になっている。八王子の古書店で買った『ハーブ・ルバーリン』は、私にとってはバイブルといってもいい書物である。いずれも、誠文堂新光社が出してくれたありがたい書物だ。
私が記憶しているかつての『アイデア』の姿は、いまの姿とはかなり違っている。今の半分くらいのページ数で、表紙はコート紙だった。どちらかというと、ヨーロッパの有名なグラフィックデザインマガジンである『Graphis』を日本バージョンで出したような感じだった。ところが、ここ数年、大きな変貌を遂げている。それはページ数がかつての倍くらいになったことだけではなく、その編集方針である。
だいたい一つのモチーフにテーマを絞って、それを徹底して掘り下げる。本文も、視覚的にデザインを突っ込んだ挑戦的な構成のページから、クラシックな組版とレイアウトでしっかりと読ませつつ、見せるという、そんな保守と革新が同居したような構成になっていることが多い。
雑誌でこそ生きてくる変幻自在で挑戦的な見せ方と、永久に読み継がれて欲しいという本づくりの職人的姿勢が融合し、驚異的な存在感として出現した希有な書物として、現在の『アイデア』はある。
今回の“ヤン・チヒョルト特集”もしかりだ。構想から出版まで2年を要したというそのねばり強さ。チヒョルトの素晴らしいグラフィックを惜しげもなく提示するその手法も、書籍本体を複写してそのまま提示する構成から、紙面のみをトリミングして効果的に見せる手法まで。
ヤン・チヒョルトのグラフィックデザインとタイポグラフィのありとあらゆるよい面を、もっともよい形で読者に見てもらいたいという魂にあふれた編集となっている。
ヤン・チヒョルト本人が著した『記号の変遷』の完訳を、別冊付録にしている点も見逃せない。この別冊の書物、組版からその存在感まで、おそらく完璧と言っていいくらいの仕上がりである。
最後に一つ。
今の『アイデア』は広告が少ない。いや、少ないというか、ほとんどない、といっていいと思う。
全ページ数が200ページを越えているのに、出稿している広告主はたったの3社である。しかも、1社は表2。もう一社は、巻末にバーゼルの版元の書籍広告が1ページ。残る一社は、これも巻末に両面で入れている竹尾社。これだけである。
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